東南アジア旅行記〜第3回シリーズ 蘇州 9回シリーズ


蘇州拙政園内の風景
   2000年7月に中国の上海と蘇州、 翌年の9月末から10月初旬にかけて シンガポールとマレー半島最南端の町 ジョホール・バール、2002年6月には 台湾の台北と花蓮方面を旅行した。

いずれも観光が主な目的であったが、 現地の人達との交流と気風に触れ、 現実の状況をこの目で確かめることが できた。

 「私の見た東南アジア」と題し、私的 な旅行記を9回に分けて紹介しています。

  1−3.蘇州の留園と拙政園
 蘇州の留園と拙政園はそれぞれが中国四大名園の一つである。留園は400年も前の明の嘉靖年代に 作られ、1997年に世界文化財に指定された。約6,000坪の敷地面積を持ち、明代の太僕(官職) 徐泰時は、多くの奇岩怪石を集めて、東園と西園を造園した。 清の乾隆末に劉園と名付けられ、増築後に寒碧山荘に改名されたが、光緒年間に増改築して留園となた。

 留園の建築の配置と構造は厳密で精巧であり、景観が変化に富み、様々な要素がバランスよく配置され、 気品も高く、歩くと景色が変わり、見学人を佳境に引き入れる。園内は中部及び東と西と北の四つに分け られ、中部は池と築山がメイン、東部は亭と堂等の建築物が中心、西は美しい土山と楓の森の自然、北は 田園風光がある。この4つの区の景物は曲がりくねった廊下でつながれ、花窓という透かし彫りの窓から見える景色が一 つ一つ異なり、それぞれが一枚の絵のようになる。

 拙政園は世界遺産としての「蘇州古典園林」の主格とされ、中国庭園のモデルとして事実上中国第一の庭園と言われている。 当初、唐の詩人陸亀蒙の自宅であったが、明代の正徳4年(1509年)に官僚の王献臣が造営した。 王献臣は明の官僚を追放され、故郷の蘇州に戻り、愚かなものが政をつかさどるという意味で「拙政」と名付けたとの説がある。

 拙政園は蘇州の庭園でもっとも広く、約15,600坪の敷地面積を持ち、東園、中園、西園の三つの部分と住宅部分からなる。 園内の中心的な存在は水、全体の約5分の3を大小の蓮池が占めている。蓮池の周りに東屋、橋、回廊、緑が水面に映って美しい景観を構成する。

 中国の古典文学「紅楼夢」の舞台はここをモデルとしたらしい。水際に築かれた建物は自然で独特な趣きがあった。 池を中心とした構成は、随所に借景や対景など庭造りの技法が活かされていた。建築物は素朴で明るく、 水に臨んで園内に亭が十幾つもあるが、様式が皆異なっていた。

 西園には「盆景園」があり、盆栽の優秀な作品が集められ、盆栽館に蘇州式の盆栽が展示されていた。
 
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